
生産者とのつながり vol. 14

秋田県横手市
阿部 円香(OK,ADAM、Hostel&Bar CAMOSIBA)
【つながり 〜ハードサイダー〜】
横手市十文字町の創業百年を超える麹屋生まれ。
2017年ゲストハウスHostel&Bar CAMOSIBAをオープンし、2023年にはOK,ADAMの醸造所兼タップルーム、サウナ付きの一棟貸宿を含めた複合施設をオープンさせた。
https://www.instagram.com/ok.adam.cider
https://okadamcider.com/
https://www.instagram.com/akitayokoteguesthouse/
http://camosiba.com/
まずは、ゲストハウスを始めたきっかけは?
東京の大学に在学中、途中で休学してバックパッカーとして海外を巡っていた時に、ゲストハウスやホステルといった宿泊施設を頻繁に利用していました。そこで旅人同士が繋がり、ローカルな情報を得られるという体験に深く魅力を感じ、いつか自分でもこのような場所を運営したいと、強く思うようになりました。
元々、英語を使って海外で働きたいという思いがあったのですが、大学3年生の時に参加した海外ボランティアで、自分の英語力のなさに直面したんです。思ったようにコミュニケーションが取れず、『このままでは、自分のやりたい職業には就けない』と痛感しました。
なので、このまま就職活動を続けるのではなく、一度立ち止まって、もう少し英語力を高めたり、もっと海外の多様な文化や生活を見てからでも遅くないだろうと考え、一度休学をすることにして…。
大学は4年生まで通常通り通学し、敢えて単位を1つだけ残して計画的に休学に入りました(笑)。卒業論文は、後で大変な思いをするのが嫌だったので先に書き上げておいて。そして5年生を休学し、その残りの単位を取得するために、6年生は半年間だけ通学して卒業しました。


最初は一度東京で就職してから、地元に帰りゲストハウスを開業しようと考えていました。でも、その就職活動がうまくいかず『もう嫌だな』という気持ちになっていました。
そんな時、大学の先生に「いずれゲストハウスをやりたいと思ってるんだったら、今すぐ地元に帰ってやればいいじゃないか」と言われたんです。
その言葉を聞いた瞬間、『ああ、確かに!』と、すごく納得して。それで、帰ることを決めて、すぐに物件探しを始めました。




物件探しには1年ちょっとかかったんですが、その間ずっとここに居たわけではなく、他県のゲストハウスに修行に行ったりもしていました。
CAMOSIBA(カモシバ)があるこのエリアは、私自身が十文字の出身ではあるものの、通学路でもなかったし、今でもスナックが多く立ち並ぶ、少し大人の街のような場所だったので、それまでは来たことはありませんでした。
元々蔵のある物件がいいなと思っていたので、最初は蔵が多く立ち並ぶ隣町の方で物件を探していたんですけど、なかなか良いものが見つからなくて。知り合いの大工さんに「何かいい物件があったら見ておいてね」と頼んでいたりしていました。
そんな時、「十文字に良い物件がある」という話を聞き、見に行くとそこには私がイメージしていた通りの素敵な蔵がありました。まさかこんな理想の物件が、こんな身近な十文字で見つかるなんて。運命的なめぐり合わせだと感じました。






ゲストハウスを始めてみて、大変だったことは?
大変だったこと…色々ありましたね(笑)。
まず最初にぶつかった壁は、大工さんや設計の方へのイメージの共有でした。
頭の中には『こういう空間にしたい』という明確なイメージがあるのですが、素人なので設計図も描けないし、イメージに近い写真を見せたりして色々試したんですが、曖昧な指示になってしまったりして、なかなか頭の中のイメージをうまく伝えられなくて。
でも、コミュニケーションを重ねていくうちに「いい感じにこの木をぶら下げて」といった私の抽象的な要望を、大工さんがすごく忠実に再現してくれるようになり、ありがたかったですね。そういう理解のある方々だったので、本当に助けられました。






それともう一つ非常に苦労したのが、消防法や各種許認可の調整です。
オープン直前になって「この壁紙、全部張り替えてください」とか「天井を上げてください」といった予期せぬ修正指示が入ることもありました。そうならないように、申請当初から図面を持って関係部署を回り、確認してもらっていたにもかかわらず、年度が変わって担当者が交代すると、また一から説明が必要になることも少なくありませんでした。
火事になった時に煙の逃げ道がこれくらい必要だとか、襖はダメだとか、細かな規定がたくさんあって。襖がダメだと言われた時には、無理やりドアに改造したりもしましたね(笑)。担当される方によって、解釈や対応が異なることもあり、前例のない建物だったからか、特に調整に手間取る場面が多かったです。
でも、当初は「前例がない」と役所関係の方々に何度も言われていましたが、このゲストハウスがその“前例”を作ったおかげで、次に作った醸造所兼ゲストハウスの申請は、割とスムーズに進みました。





日々やっていく中で喜びを感じることは?
一番嬉しかったのは、地域の人々と旅をする人が自然と繋がり、交流している姿を見た時です。
ゲストハウスというものが当時、この地域ではまだあまり馴染みがなかったというか、「この建物は何ができるんだろう?」「ゲストハウスって何?」というところからのスタートだったので、正直、地域の人々と旅行者とが本当に繋がれるのか、不安も少なからずありました。
でも、蓋を開けてみたら、そんな不安とは裏腹に、うちのお客さんらしき人を見かけると、地域の人々が「CAMOSIBAはあっちだよ!」と声をかけて教えてくれていたんです。たとえ外国人の方だったとしても、身振り手振りで道を教えてくれていたり。
中には、早朝に到着してしまって路頭に迷っているお客さんを、隣の家の方が自宅に入れてくれたなんてこともありました(笑)。



この辺りは昔から旅館や飲食店が多く、旅人が行き交う場所だったと聞いています。その名残もあってか、外から来る人に対してとても寛容で、ウェルカムな雰囲気を持っていることをゲストハウスを始めてから知りました。
私たちが介入しなくても、一人で来ている旅行者にもどんどん地域の方が話しかけてくれて、仲良くなっていく姿を見るたびに『ああ、よかったな。まさに目指していたのは、こういう空間だったんだ』と感じます。しかも、それが開業して1年目にはもう見ることができたので、その時は本当に嬉しかったですね。




ハードサイダーを醸造しようと思ったきっかけは?
元々、この宿を始める時に、数年後のビジョンとしてクラフトビールを作りたいという思いも抱いていました。というのも、ここ横手市ではホップをたくさん作っています。その地のものを使ったビールをいつか造りたいと漠然と考えていたんです。当時はまだそういう地ビールは少なかったので。
そんな中、バーのお客さんとして近所の果樹農家さんがよく来てくださっていて、様々な種類のりんごがこのエリアで作られていることを知りました。こんなに様々な品種があるんだと驚いて。それを知って、よりそれを活かした飲み物を造りたいと、なんとなく思うようになってきたんです。
その時に、シードルも選択肢の一つだなと思いました。ただ、その時点ですでに“オカノウエシードル”さんが活動されていたので、『シードルはもうあるしなぁ、じゃあ何をしようかなぁ』と考えていた時に、偶然ハードサイダーというものを知ったんです。それこそ、スーパーモールラッキーで“リバイバル”というハードサイダーが売っていて。それを飲んで、これ美味しい!と感動し、これを造ろう!とすぐに決めました。





りんごとホップ、どちらも地元で作られている特産物。これこそがこの土地らしい、私たちらしいものが作れるんじゃないかと感じて、ビール醸造からサイダー醸造の計画へと方向転換しました。
まだまだハードサイダーの知名度は低いですが、少しずつ専門のお店も増えてきています。
イメージとしては、シードルがワインに近い感覚なのに対し、ハードサイダーはどちらかというとクラフトビールの文化に寄っているような。アメリカにいた時に感じたのですが、グラスをガーン!カンパーイ!ってやって、日常的に楽しむお酒だなぁと。
ハードサイダーを造ろうと決めてから割とすぐ、そのままの勢いで本場に修行に行きました。


ハードサイダー造りで大変だったことは?
アメリカに修行に行ったとはいえ、ビザの関係もあって滞在は最長で1ヶ月だったので、本当に基礎の基礎、例えばタンクを洗うといった清掃作業を中心に教わるくらいだったので、醸造技術までしっかり学べたかというと、正直そうではありませんでした。そして実際に醸造所に行ってみて、自分が造り手になりたいかというとそこまでではないことにも気づきました。
私自身、ハードサイダーを飲むのは大好きなんですが、造るとなると数学的な知識や理系の知識、化学式なども必要で、どうしてもそこまでを自分でやるのは難しいと感じていて。嫌々やるのも違うな、という思いもありました。自分が造るのではなく、誰か他に造ってくれる人を探さなければ…どうしようかなぁと考えていた時、現在の醸造長である倉田と出会ったのです。
元々、私が昔お世話になっていた仙台の会社のインターンシップをしていた子で、CAMOSIBAのリノベーション期間中そのインターン生が手伝いに来てくれていた、その中の一人でした。
その仙台の会社の方から、「倉田くんがお酒を造りたがっているよ」という話を偶然聞いて。ピンと来てすぐに連絡を取り「お酒造りたいんだって?」と話を進めました。
実際に会って、私が「こういうお酒を造りたいと思っている」という話をすると、なんと彼も「僕もちょうどハードサイダーを飲んで、いいなと思ってたんです」と言うんです。これには本当に驚きましたね。
彼は当時東京で働いていたのですが、会社を辞めていただいて、十文字に帰ってきてもらいました。そしてすぐに、弘前にあるテキカカシードルさんというところに1年間修行に行ってもらったんです。
そこで醸造技術を習得してもらい、本格的にハードサイダー造りが始まりました。醸造長として彼のような適任者と出会えたことは、本当に幸運でした。



ハードサイダーを造ってみて嬉しかったことは?
今、OK,ADAMのハードサイダーは東京や関西、名古屋など、都市圏の多くのお店に置いてもらっています。そういったお店にたまに顔を出すと、実際にいつも飲んでくださっているお客さんと出会えて、その方が、造り手の私たち以上に熱量をもって美味しさを語ってくれたりしていて。そういう空間に入った時、本当に『造って良かったな』と感じますね。
この間も倉田とそういう機会に遭遇したのですが、彼は「もう今日死んでもいい」なんて言うくらい喜んでいましたね(笑)。
造り手側が飲み手の方と直接交流する機会は、自分たちからイベントに出向かないとなかなか得られないので、実際に飲んでくださる方の顔をたくさん見て、嬉しい言葉をたくさん浴びれたとき、本当に幸せだと感じます。良い酒飲みの方々に飲んでもらえていることが、何よりの喜び。
良い酒場には良いお客さんがたくさんいると感じていて、そこに私たちのお酒を置いてもらえていることが本当に嬉しいです。


ハードサイダー造りへのこだわりは?
ハードサイダーを造る上では、やはり秋田・横手産の果物や原材料を主にしているのが一番のこだわりです。
飲み物単体で飲んで楽しめるのももちろんですが、私たちが目指しているのは、食事にも合う味わいです。そのため、あまり個性が強すぎないように造っています。
と、醸造長の倉田が言っています(笑)。
これだけ多様な原材料が集まる地域は、全国的に見ても珍しいのではないでしょうか。
私たちが造ったハードサイダーを通して、地域の人々にも「こんなものもここで作っているのか」と知ってもらえるきっかけになると嬉しいです。このハードサイダーが、まだ知られざる横手の魅力を伝えるアイテムの一つになれたらと考えています。


仕事に対する円香さんのこだわりは?
一人旅をしていた時もそうでしたが、みんなで一緒にお酒を飲んで繋がっていく感覚は、言葉よりも先に心が通じ合うような。そんな場面にたくさん出会いました。
お酒を飲んでいる場の楽しい雰囲気だったり、人が集まるゲストハウスのような場所が好きだったり、全てそこから始まっていると思います。
私は基本的に欲張りなので(笑)。
こういう空間だったりが好きで、それ以外にも好きなものがたくさんあって。就職活動をしている時、その好きなものの一つに当てはまればいいなと思って、様々な業種を受けたのですがうまくいかなくて。一度立ち止まった時に、好きなものを全部やれる仕事はないだろうかと考えて、たどり着いたのが地元に帰ってきて元々ある古い物件を使って宿をやる、ということでした。
CAMOSIBAは、自分の“好き”や“興味関心”をぎゅっと詰め込んで作った場所なんです。なので、私のこだわりと聞かれれば、自分の“好き”や“興味関心”を仕事にすることと言えるのかもしれません。
ここをやり始めた頃、様々な記事に「地元のために」「秋田を盛り上げるために始めました」といった書かれ方をよくされたのですが、その頃はあまりピンと来てなくて。私はそうじゃなくて、自分の好きなことをやっているだけ、みたいに思っていた時期もありました(笑)。
それが、何かのタイミングで「地元好きだなぁ」と気持ちが変わった瞬間があったんです。そこからはちょっと考え方が変わって、地元というほど大きなくくりではまだ言えませんが、せめてこの周りのお客さん、お店のスタッフや家族とか。
手が届き、目が届く範囲の人を幸せにできるような事業をしたいと強く思うようになりました。




CAMOSIBAのおすすめポイントは?
お客さんから“泊まれる居酒屋”という風に言ってもらったことがあって、確かにその通りだなと感じました。宿と居酒屋、どちらがベースかと言われると難しいですが(笑)。
地域の人も好奇心旺盛な方が多いので、そういった人たちと旅人が自然と交流できるのも魅力の一つだと思います。
この町には他にも良いお店がたくさんあるので、ここだけではなく他の所も是非行ってもらいたいと思っています。この十文字という町全体の楽しさを感じてもらえるのも、CAMOSIBAの大きな魅力だと感じています。




今後の展望は?
今は、新しい事業を立ち上げるというよりは、今あるものをより深く、丁寧に伝えていく時期だと感じています。CAMOSIBAも開業から8年が経ち、お客さんの流れも少しずつ変化しているんです。先ほどお話ししたように、“どんなところがこの宿の魅力なのか”という点をもっと分かりやすく伝えていく必要があると考えています。
ハードサイダーに関しても同じことが言えて。
『ハードサイダーってそもそも何?』という基本的な疑問から、『“OK, ADAM”というブランドがどのようなものなのか』など。事業全体を通して、もっと丁寧に伝えていく作業が必要だと感じています。
以前は海外展開をかなり意識していましたし、もちろん今も視野には入れています。しかし、まずは国内でしっかりと魅力を伝えていくことに注力すべきだと考えています。
現在はアメリカの提携先で一緒に作ったものを販売してもらっている段階で、単独での輸出販売にはまだ至っていません。アメリカや台湾あたりから攻めていきたいと考えてこの数年取り組んではいますが、常に冷蔵輸送が必須になってしまうため、輸送費がとんでもない価格になってしまうんです。海外進出においては、まずそこからクリアしていかなくてはならない状況です。
今はそれよりも、自分たちの中でも改めて深掘りし、初心に立ち返るような気持ちで、さらに磨きをかけていきたいと思っています!

Interview&Text:KENICHI WATANABE, KIYOKA MURAKAMI(Remède nikaho)
Photograph:YASUFUMI ITO(Creative Peg Works)
Produce:TEPPEI HORII(PILE inc.)