
生産者とのつながり vol. 12

秋田県秋田市
小林 忠彦(秋田醸造株式会社)
【つながり 〜蔵元〜】
純米酒での品評会入賞は難しいと言われる中、見事快挙を成し遂げた小林さん。
そのこだわりと探究心は尽きることなく、常に高みを目指す姿勢はまさにプロフェッショナルです。
日本酒はもちろん、食やワインにも精通するその知識は群を抜いており、多くの人々から尊敬を集めています。
https://www.instagram.com/yukinobijin1919/
https://yukinobijin.com
今に至る経緯を教えてください
私がこの蔵に戻ってきたのは昭和62年のことでした。
当時は日本酒が盛んに飲まれていた時代で、うちの蔵は主に高清水にほぼ全量を桶売り(酒蔵が造った酒を別の酒蔵に販売する取引)しており、その割合は8割に達していました。その桶売りが主な収入源となっていましたが、時代の流れとともに日本酒の消費量が減少し、平成の初めには経営方針を転換せざるを得ない状況に追い込まれました。
それと同じ頃、この土地の有効活用について検討した結果、マンション建設の話が持ち上がり、そして現在の形となるマンションの一階に酒蔵を構えることになりました。



自分自身も醸造試験場に通いながら酒造りを学び、同時に雇っていた杜氏のもとで様々な作業を経験しました。新しい設備を導入するなど、様々な試みを行いましたが、新しい機械があるだけで、良い酒が造れるわけではないし、機械を使いこなす技術はもちろん、どんな酒を造りたいのかという明確な目標がなければいい酒は造れない。
3年間試行錯誤を繰り返しましたが、思うような結果は得られず、売れなかった酒の在庫で倉庫がいっぱいになってしまい、経営も厳しくなり、残念ながら杜氏には退職をお願いせざるを得ませんでした。
4年目から私が酒造りを引き継ぎましたが、山積みの在庫があった為、最初の頃はごく少量の酒しか造ることはせず、東京の酒屋に足を運び、私たちの酒を扱ってもらえるよう営業活動に励みました。
また、その頃の秋田には全国の日本酒を取り扱う酒屋が少なかったため、東京へ行くたびに様々な日本酒を購入し、飲み比べながら味わいを研究していました。



当時、本格焼酎のブームがピークを迎えており、特に森伊蔵、佐藤、伊佐美といった銘柄は品薄状態が続き、入手困難になるほど人気を集めていました。
日本酒市場では、十四代、田酒、磯自慢、九平治などの高品質な日本酒が注目されており、多くの酒屋で取り扱われている中、秋田の日本酒は品質やブランド力、流通経路など多くの課題を抱えていたせいか、この激しい競争の中には、まだ飛び込むことができずにいました。
地酒屋や日本酒に力を入れている居酒屋を訪れても、秋田の酒はほとんど見かけることがなく。
全国の酒を揃えていると謳っていても、青森や山形の日本酒は扱っているのに、秋田の酒はラインナップされていないことも多く、非常に残念でした。
先行して、いくつか秋田の日本酒蔵も大手問屋に卸しているところもありましたが、大手問屋は大量に販売できるスーパーや百貨店への卸しを優先し、手間のかかる地酒屋への卸しは敬遠していました。そのため、秋田の日本酒はスーパーに並ぶことが多く、大手メーカーの製品と同じようなイメージを持たれてしまいがちで、東京の日本酒市場において、知名度が低く消費者の目に触れる機会も限られていました。


その中でも、東京市場に最も多く流通していたのは山本白瀑でした。小泉商店という問屋が力を入れて積極的に販路を開拓していたため、他の秋田の日本酒と比較して、知名度と流通量が大きく上回っていました。他は、刈穂や飛良泉がごくわずかに見られる程度。その後、一白水成が少しずつ市場に参入し始め、約15年前には私たちの酒もようやく少しずつ流通するようになりました。
そうしているうちに、新政の佐藤祐輔氏が帰郷し、画期的な日本酒を造り始めたことで日本酒業界に大きな旋風を巻き起こしました。特に、市場に影響力を持つ地酒屋の間で「新政はすごい!」と話題になり、秋田の日本酒に対する注目が集まり始めました。この熱狂は、他の秋田の日本酒にも波及し、多くの地酒屋が取り扱い銘柄を拡充する動きを見せました。


その後、東日本大震災が発生し、被災地は大きな困難に直面しましたが、その一方で復興支援で東北の日本酒に対する注目が集まるようになりました。特に、宮城県の一ノ蔵や浦霞、岩手県の南部美人は東京の多くのスーパーや百貨店で手軽に入手できることから、多くの人に飲まれました。これらの日本酒の品質の高さや、復興を応援したいという消費者の思いが重なり、若い世代を中心に日本酒への関心が高まりました。
この流れに乗り、秋田の日本酒もイメージアップにつながり、結果的に私たちの酒もより多くの人々に知ってもらえるようになりました。しかし、そのブームは3~4年ほど続きましたが、その波に乗れなかった蔵があるのも現実。復興ムードは短期間で終わる側面もあり、全ての蔵がその恩恵に預かれたわけではありませんでした。
既存の流通網に属していなければ、新たな販路を開拓するのは難しかったのです。地酒屋での販売がいかに重要かを実感しました。流通網がしっかりしていなければ、どんなにいい日本酒でも消費者に届けることは難しいのです。



NEXT 5発足
各蔵元はそれぞれ独自に活動していましたが、新政の佐藤祐輔氏が帰郷し、山本酒造の山本友文氏を中心に、秋田の日本酒全体の活性化を図るため『NEXT 5』を結成しました。
フランスでのワイナリー見学や、さまざま海外視察で現地の食文化に触れたりする中で、日本酒の新たな可能性を感じ、海外で学んだことを活かし、各蔵元はそれぞれの日本酒に新たな価値を見出すことができました。
その後、デンマークにある世界一のレストラン『NOMA』が日本酒をペアリングに取り入れたことは大きな転機となりました。『NOMA』が東京に姉妹店をつくった際も、その評判は日本国内に広がり、食に関心の高い多くの人々が訪れました。『NOMA』のソムリエやシェフの間では、日本酒が『食の芸術』を彩る重要な要素として評価され、世界中の美食家たちの間で日本酒が話題となり始めました。
特に、新政の日本酒が『NOMA』のメニューで高い評価を得たことは、日本酒が世界的な注目を集めるきっかけとなりました。 『NOMA』の革新的な料理とのマリアージュが、日本酒の可能性を新たな次元へと引き上げ、世界中のレストランに日本酒が並ぶ光景は、もはや珍しいものではなくなりました。



理想の日本酒への探究
特にワインみたいな酒を目指しているわけでは全然ないんだけど、私はワインをよく飲むので、酸味のある味わいに慣れているんです。日本酒は一般的に酸味が少ないよね。
全国の新酒鑑評会では、酸度が1.5~1.6あると評価が低くなってしまう傾向にあるんです。 日本酒の味わいを調整するために、多くの酒蔵では出品酒には、醸造の途中でアルコールを添加しています。このアルコール添加によって酸の量をコントロールし、より安定した評価されやすい味わいの日本酒を作ることができるんです。
一方、私たちの酒蔵ではこのアルコール添加を行わず、米と水そして酵母だけで日本酒を造っています。酵母はアルコールを作るだけでなく、同時に酸も作り出す働きがあるんです。そのため、私たちの日本酒には酵母が一生懸命働いた証として、自然な酸味が含まれています。
酸は日本酒に奥行きを与え、複雑な味わいを生み出す要素の一つなんです。鑑評会では、酸度が低い日本酒が高く評価される傾向にありますが、私たちは自然な味わいを大切にし、酵母が作り出す個性的な酸味を活かした日本酒を造り続けています。
といっても、まだ私が理想とする日本酒の味にはたどり着けていないんです。たまに良い酒はできるのですが、どこか物足りなさを感じていることも多く、常に新しい味わいを探究しています。
甘みが少ないと粗が目立ってしまうため、ある程度の甘みがあって、日本酒特有のコク、深み、そして少しの苦味。このバランスが、私が目指す味わい・・・何となく分かりかけているんだけどね。
最近は、アルコール度数の低い日本酒が流行ってますが、私はあえてそこは低くはせず、より奥深い味わいを目指しています。
本当は、もう少し貯蔵してまろやかなコクと深みのある味わいにしてから出荷したいけど。私たちの蔵は規模が小さいので、長期の貯蔵は難しいのが現状です。




これから・・・
毎月の酒の出荷量はどんどん減っています。秋田県だけでも、もうすでに3社の蔵が廃業に追い込まれているような話も聞こえてきているし。このままでは、今後30社中10社が倒産するなんてことも現実になるかもしれません。ただでさえ日本酒の消費量は減ってきていましたが、コロナ禍でさらに大きく減少しました。
それにくわえ、世の中、高齢化が進むにつれて外食や飲食の機会が減り、若い世代の日本酒離れも進んでいくと思います。このままでは、地元のお客様だけで経営を維持していくのは難しく、インバウンドの需要を取り込むことが、生き残りのカギとなるのではないかと。ある程度遠くからのお客様を呼び込むような取り組みが、これからの飲食業界、日本酒業界には求められていくと思う。

大事にしている想い
一番大事なのは、なんといっても熱意です。
飲み手に心から楽しんでもらえるような、おいしいお酒を造りたい。その一心で、私は酒造りに取り組んでいます。
情熱があれば何でもできる、情熱がなければ何も始まりません。
伝統的な技法を大切にしつつ、新しい技術も積極的に取り入れ、手を抜かず常に改善を続ける努力が必要。

最後に、レメデにひと言
お店の雰囲気は本当に素敵だよね。
にかほの豊かな食材を活かした、記憶に残るようなシグネチャーメニューがあると、もっとお客様に特別な体験を提供できるのではないかな。
にかほといえばこれっていう食材を使った、ガツンと印象に残るような一皿があると、お客様に『あの店のあの料理が忘れられない!』と言っていただけるかもしれません。お店の個性をもっと際立たせることができるかもしれませんね。



Interview&Text:KENICHI WATANABE, KIYOKA MURAKAMI(Remède nikaho)
Photograph:YASUFUMI ITO(Creative Peg Works)
Produce:TEPPEI HORII(PILE inc.)